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旅先で遭遇した事件《インシデント》 投稿

 旅行中または前後に出くわしたトラブル 〔旅のインシデント〕

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宿を求めて街巡り

Castle Hill & Danube今から17年ほど前の3月半ば、3都市周遊旅行でザルツブルグ、ウィーンからハンガリーのブダペストに行った。当時はインターネットでホテルを予約するなどという選択肢が無く、ガイド・ブックの情報を見て出発1~2週間前に直接とある宿に電話を入れクレジット・カードの詳細を渡して(これが普通だった)最初の二泊のみを確保。ブダペスト中心部に近い住宅街に位置するそのホテルの部屋は値段相応に粗末で狭く、ベッドも小さめであった。中庭に面していたが見えるのはスラム化したような団地(ホテルはその一角にあった)と万国旗状にはためく無数の洗濯物。安さ優先で選んだ為それくらいのことは覚悟していたが、(中庭から聞こえてくる)その夜のとんでもない喧騒に圧倒され、次の日(二泊目)部屋の変更要求をすることに。翌朝9時頃、受付の青年を相手に交渉してみたが上手くいかなかったので二泊目をキャンセルする旨を伝え一泊分の料金を支払おうとしたところ、なんとキャンセル料まで請求された。大した額ではなかったと思うが納得できず(怪しげな英語で)抗言しながら支払いを渋っていると、相手は小生意気にも「警察を呼んで話をつけよう」などと言い出す。売り言葉に買い言葉でこちらも「望むところだ!」みたいな事を言い放って、さらに押し問答を繰り返しているうちに観光に費やすべき貴重な時間はどんどん失われていく。このままでは今夜の宿探しにも影響するかもしれない。悔しいがここは降参するしかなさそうだ、という訳で結局不承不承に勘定を済ませそのホテルを後にした。
マーチャーシュ教会ガイド・ブックから宿を幾つか選んだがチェック・インの時間はどこも午後2時~3時頃からだったため先に少しばかり観光をした後、候補の一つをあたってみることに。ガイド・ブックの案内に従ってトラムに乗りそのホテルの最寄り停留所に向かった。繁華街から遠ざかるにつれ観光客らしき人々は徐々に消え、いつの間にやら周囲は地元の貧困層らしき乗客ばかりになっている。車外の景色もだんだん寂れてきたが40分以上乗っていても目的の停留所に到着する気配が一向にない。これだけ遠いと観光に不便だろうし、そもそも肝心のホテルが見つからないかもしれないと考え、やむなく中心部に引き返すことにした。
街中へ戻りペスト地区の地下鉄駅に向かう。ガイド・ブックの情報は少々古いし、観光案内所で宿を見つけてもらう方が確実で手っ取り早い。(なぜもっと早くそうしなかったのだろうか…) 駅の構内に入り案内所の入り口まで来て唖然とした。まだ5時前だというのにすでに閉まっているではないか。
『ちくしょうまたやられた…!』(こうした事は過去にもあった。)
しばらくそこに立ち尽くしていたが、気を取り直しとりあえず構内を出る。さてどうしたものかと考えあぐねていると、ふと駅横の大きなホテルが目に留まった。いかにも高そうだと思ったがこれ以上時間を無駄にしたくなかったので中に入って受付で空き部屋があるかどうか尋ねてみる。「インターポールの会議があるため今夜は民間人を泊められない。」フロント係はあっさりとそう答えた。さあ、いよいよ途方に暮れてしまった (日も暮れかかっている)。なす術も無くすごすごと退散しかけた時、別のフロント係が言った。「他のホテルに問い合わせてみましょうか?」捨てる神あれば拾う神ありとでも言うべきか。そんなこんなで紹介された宿はブダ側にあったが、地図で見ると大通り一本道で簡単に行き着けそうだったため早速ドナウ川を目指して歩き始めた。
エルジェーベト(エリザベート)橋を渡り終える頃には午後6時近くになっており、あたりは宵闇に覆われていた。橋からは夜間照明に浮かぶブダ城(王宮)や彫像の立つ高台が見える。目当てのホテルまでは思ったより遠そうだ。肩越しに城をちらりと眺めやって不意に足が棒になるのを感じた。やがて前方に怪しげな公園が見えてきたが、そんなことを気にする余裕など無い。重い荷物と痛い足に耐えながらさらに歩き続けると、ようやく道の両側にバス停や家並みが現れた。そうして何とか当のホテルに辿り着いた時には、巧まずしてブダペストのトラムと街の散策を存分に堪能やれやれしていたのだった。チェック・イン後に気付いたことだが、持参したガイド・ブックの宿泊施設案内ページにも掲載されていたそのホテルの情報欄わきには赤インクの目印と我が悪筆で「繁華街から遠く割高」との注意書きがあった。

 

 

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