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我が家の猫住(獣)民と常連たち 投稿

 我が家の猫集団 – 猫住(獣)民と常連達にまつわる話

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猫屋敷になった経緯その6 - 寄食を決め込んだ二匹

バディとホリー(+トーティ)が産まれる3年ほど前のある日、台所の窓からふと裏庭を見ると一匹の若そうな三毛猫が通い猫たちの食べ残した餌をむさぼっているのが目に入った。それまでにも何匹もの野良猫/(他人の)飼い猫が残飯目当てで入れ替わり立ち替わり我が家の庭に通って来ていたので(中には短い間居ついた猫もいる)珍しい光景ではなかったのだが、その鮮明な毛色柄は何とも印象的なものであった。以後も何度か裏庭でその猫を見かけるようになり、彼女がそこに留まっている時間も次第に長くなっていった。やがて我が家の同居人が彼女のために餌を出し始め、カフカと名付けられた当の猫はほぼ毎日決まった時間帯にやって来るようになった。(要するにまた一匹常連猫が増えたわけだいや~、困った)
更にしばらくしたある日、裏庭の塀をつたって庭内に入り込むカフカに同行する一匹のサビ猫を発見。カフカより体が小さめのその猫はカフカの後ろを付いて回りながらあちこちをウロウロしている。カフカの子供にしてはデカすぎる(?)が姉妹猫だろうか?我が家の同居人は件のサビ猫を見つけるや否や喜び勇んで二匹分のメシを持ち裏庭に出て行った。割と恐れ知らずのためか我々の存在に慣れてしまったせいか、カフカは単に動きを止め同居人の行動をじっと観察しているだけであったが、お供の猫は勝手口の扉が開いた瞬間に庭から飛び出して塀の上から訝しげに同居人を凝視する。芝生に餌が置かれ人間の姿が消えるとすぐに、カフカはいつもの通り餌箱に駆け寄りタダ飯をがっつき始めた。一方、例のサビ猫はというと一瞬どこかへ消え失せたと思いきやまた庭内に戻り、カフカの隣でメシにありついた後二匹揃ってそそくさとその場を去って行った。それ以降カフカと(後にベイビー・フリーダと呼ばれるようになった)件のサビ猫はしばしば連れ立って我が家の裏庭に顔を見せ同居人の弱みにつけ込んで無銭飲食の常習犯に。
やがて常時行動を共にするようになった二匹は更に数ヶ月経った頃、庭にある納屋(物置小屋とも言う)の下をねぐらにし始めた。当時裏庭にはすでに一軒の猫小屋があったが、別の通い猫が時々それを使用していたためカフカとベイビー・フリーダはその小屋を避けるようにしてしばらくの間納屋の下で雨宿りや朝寝/昼寝/夜寝をしていた。(ゆえに餌も納屋のすぐ前に置かれたひひひ) 程なく猫馬鹿の同居人が「あれじゃ凍てつくような寒い日や土砂降りの日をしのげない」と言い出し、結局彼らのために猫小屋をもう一つしつらえてやったのだった。カフカとベイビー・フリーダは我が同居人の狙い通り、いつの間にやら小屋の一つに住処を移しお互い身を寄せ合って時を過ごすようになった。そして、ごく稀に別々の猫小屋で寝ていることがあったが、この二匹は片割れ無しではまず姿を見かけないほど絶えず一緒に物事をして我々をしばしば感心させた。
そうこうするうちに避妊手術を受けさせるべきだということになり、簡単に取り押さえられないのが分かっていたため裏庭に罠(捕獲用の檻)を仕掛けて一匹ずつ捕獲し獣医に連行。それぞれ術後2~3日は強制的に家の中で養生させ、そのあと縫合糸つきで外に解放してやったが運よく何の問題も生ずることなく、二匹はまた以前のように朝晩のメシ時には揃って庭に姿を現し、コンポスターや燃料収納キャビネットや納屋の上で日光浴をし、同じ猫小屋(特に決まった小屋というものは無い)で寄り添って睡眠をとるのであった。
バディとホリー(+トーティ)の母猫が我が家の裏庭で出産/育児をしていた間、カフカとベイビー・フリーダは毎日餌目当てで来るのに変わりはなかったが、緊張と恐怖のためメシ時以外の時間は裏庭に留まるのを避けていた。それでも子猫達が庭から一掃されフリーダ(バディ、ホリー+トーティの母猫)が元の不定期通い猫に戻ると、カフカとベイビー・フリーダは再び古巣の猫小屋に腰を落ち着け、よそ者(猫)の来襲を凌ぎつつその後何年も我が家の裏庭に君臨し続けているのである。

ちゃっかり屋Kafka (カフカ)
カフカ推定生年月日: 2003年初頭。2016年7月24日夕方(5時頃)没我が家の裏庭にふらりと姿を現しベイビー・フリーダ(下記参照)と共に結局そこに居ついてしまった短毛で腹白三毛の雌猫。身元/年齢不詳だが(当時推定1歳未満)、カフカに遭遇する数ヶ月前隣人の物置小屋で野良猫が子供を数匹産んでいたことから、ひょっとするとそのうちの一匹だったのかもしれない。当時ベストセラーだった日本の小説『海辺のカフカ』に三毛猫が登場するという理由で(少々こじつけがましいが)、我が家の同居人によってカフカと名付けられた。
人懐っこいというわけではなかったがカフカは初めからあまり人間を怖がる様子もなく、我々が姿を見せても隠れたり逃げたりすることはなかった。ただ、警戒しないわけではないのでこちらが近づくとさっと身をかわして離れて行き体を撫でさせることなども決してなかったが、腹が減っている時やこちらがメシを持っている時は自ら近寄って来て足元をチョロチョロするのだった。野良猫の習性なのか、食物を鼻先に差し出しても人の手からは絶対に食べず必ず爪を立てた前足で食物を叩き落とそうとした。(素手を使っての給餌を)数回試してみたものの同じ事の繰り返しで指をズタズタにされたくなかったため我々はいつしか諦めてしまった。
カフカは我が家の裏庭に住み着き始める前からよく台所や食事室外の窓台に上がって室内を覗き込みながら飯はまだかと催促したものである。猫餌でも人間の食べる肉魚類でもえり好みせずに食べるがドライフードには食指が動かないようで余程空きっ腹でないと口にしない。また大胆と言おうか無頓着と言おうか、庭に餌が置かれると雪が降ろうが槍が降ろうが邪魔猫が現れようがお構いなく餌皿まで来て空腹を満たし、時には他猫が食べているモノを横から奪い取ったりする。積雪で一面真っ白になった我が家の裏庭やつながれた犬がけたたましく吠える隣家の庭を平然と歩き回ることも稀ではない。さらにカフカは常連非常連あるいは雄雌にかかわらず他の猫が自分の縄張り(裏庭)に入って来ても動じることなどほとんど無く、かえって気に入らない者(猫)を撃退したりさえする。(但し子猫だけは苦手らしい) 2~3匹の雌サビ猫が我が家の勝手口に餌乞いに来ていた時期があったが、いつしか彼らはカフカを恐れて庭内に足を踏み入れるのを避けるようになり、結局塀の上で給餌する羽目になったのだった。カフカは雄猫に対しては割と寛大(?)らしく、平気で彼らと隣り合って飯を食らったり自分のねぐらを占領されても彼らを追い出そうとはせずに別の猫小屋で我慢したりすることが珍しくない。弱腰で消極的な相棒のベイビー・フリーダに対して図太く積極的な当猫は大抵の場合ベイビー・フリーダを従えるように行動する。子猫を守る母猫さながらに時折ベイビー・フリーダをかばうような振る舞いを見せることもある。
どういうわけか、カフカが我が家の庭猫になってかれこれ10年以上経った今でも飯時以外はヤツに触れることはおろか1メートル以内に接近することもままならない。(メシをむさぼっている隙を突いてほんの一瞬触る程度が精一杯) 今まで大抵のオス通い猫や寄食猫はある程度の時間を経た後我々に気を許し始め頭や背中を撫でさせるようになったというのに、カフカ(とベイビー・フリーダ)は何年経っても我々に対して猜疑心を持ち続けている。全く、信頼というものを知らない厄介な猫である。
【追録】2016年の6月半ば頃から裏庭にカフカの姿をぱったり見かけなくなった。この半月でメシ時に数回現れただけで、もはや裏庭の猫小屋に寝泊りしている様子はない。一週間全く姿を見せなかった際にはどこかで行き倒れになってやいまいかと案じたが、先日久々に顔を出し餌をいくらか食らっていったのだった。我が家に勝る食物源/寝床でも見つけたのだろうか…。それとも見てくれの良いカフカのことなので同情的な猫好きに見出され首尾良く屋内で快適な暮らしでも始めたのだろうか…。いずれにせよ、今もなお近所を巡回しているのは間違いないと思うが。
【追録2】2016年7月半ばのある夕方、給餌のために勝手口の扉を開けるとカフカ(とベイビー・フリーダ)が今や遅しとばかりに扉の反対側で餌を待ち受けていた。それ自体は決して珍しいことではなかったのだがカフカは扉が開くや否や意外にも台所の中に押し入って来た(ベイビー・フリーダはというと少しの間躊躇した後及び腰でカフカの背に続いた)。更に思いがけないことに、カフカは床に置かれた飯を尻目に我々の前を通過し台所内をしばらく歩き回ってからおもむろに餌を口にし始めた。ふと思って、足元で飯を食らうカフカの背中に手を伸ばし素早くひと撫でしてみるとカフカは訝しげにこちらを一瞥しただけでたじろぎもせず再び餌皿に向き直ったのだった。(ついでにベイビー・フリーダの背中も触ってみたが案にたがわず彼女は目を見開いて二、三歩後ずさりしたがはは) いつもなら食後さっさと立ち去る二匹なのだがこの晩どういうわけかカフカは台所に留まりあちこちを嗅ぎ回って何かを探すような挙動を見せた。
それから数日後の夜遅く勝手口の戸締りを確認していると扉の外で何やら鈍い衝撃音がした。不審に思い扉を開けた途端カフカが台所に突入してきて部屋の奥へ行き辺りを探索しだす。そんなに空腹なのかと餌を用意し始めたところ何とカフカは筆者の足に絡みつくように擦り寄ってきた。そればかりか、こちらが動いても当猫は足元に張り付いたまま離れない。ほんの2~3時間前に晩飯を食ったばかりだというのにどうしたことかと思いつつ餌を出してやるも、なぜかさほどガツガツした様子はなく結局ヤツは半量近くを残して再び筆者のそばにやって来た。対処に困り「一体何が欲しいんだ?」などと尋ねてみたが無論返答を得られるはずもない。そこで間近に座ってこちらを見上げるカフカの頭を軽く触ってみるとまたしても驚いたことに当猫はほんの一瞬びくりとしただけで何かを訴えるような目でこちらを見ながらじっとしている。ここぞとばかりに筆者はカフカの頭や背中を撫で放題し様子をうかがったのだがヤツは嫌がる風でも逃げ出す風でもなく、ただその場に腰を下ろしてなされるがままにしていた(喉をかすかに鳴らしていたものの喜んでいたとは言い難い)。それからしばらくして、出て行く気配のないカフカを台所に残し筆者は雑用を済ませるために別の部屋へ。数分後勝手口の扉を開け放したままの台所へ戻ってみるとカフカは依然として室内に居座りのろのろとそこらを歩き回っていた。好きなだけ居させてやりたいのはやまやまだったが夜も更けてきてさすがにそのままの状態にしておく訳にもいかず、結局不承不承ながら当猫の尻を押して台所から追い出したのだった(その時は奴を持ち上げようなどとは考えもしなかった)。
更に一週間後、台所外の窓台から中を覗き込むカフカの口周りに血痕らしきものを見つけて当猫を室内におびき入れ餌を与えて調べてみたところどうやら口の中に潰瘍か何かができて食べるのに困難な様子。此奴を獣医に連れて行きたいが果たしてそんなことが可能だろうか…?しばし考えた末、思い切ってカフカの胴体をひっつかみヤツを籠の中に押し込めることに。ほんの数秒もがいただけで何とヤツはあっさり囚われの身となりまたもや我々をたまげさせた(よほど体調が優れなかったのであろう)。動物病院ではかかりつけの獣医が留守で、まだ新前と思われる獣医にあたり白血病ウイルス(FeLV)と免疫不全ウイルス(FIV)の検査や血液検査などを施されたにもかかわらず何とも曖昧な診断を下され、腎不全治療の注射やら鎮痛剤/鎮静剤やらおまけにビタミン剤の注射やらで大枚をはたく羽目に。(今から思えばまるで追い剥ぎに遭ったようなものだった。)
動物病院から帰り覚醒して間もないカフカを籠から解放したところ割と元気そうで食欲もあったので1時間ほどして裏庭に戻してやった。その晩当猫は普段の通り他の通い猫たちと一緒に庭で餌を食べ戸外で夜を過ごしたのだが、翌朝給餌のため勝手口の扉を開けた際カフカは脇目も振らず台所に入り込み部屋の隅に寝そべってそこを動こうとしなかった。口周りの被毛は赤黒く汚れ、いかにも具合の悪そうな姿である。1~2時間ほど様子をみるも当猫はもはや庭に出る意思はないらしかったので、やむなくヤツが陣取っている台所の片隅に寝床をしつらえ、そこから少し離れた場所にトイレを置いて屋内で養生させることに。その午後カフカは何回か床から起き上がり、車庫への扉の前に移動してそこに座り込んだり、トイレで用を足したり、かと思えばトイレ脇のぼろマットの上で垂れ流したり、勝手口の扉の前でしばらくじっとしていたりしたが餌どころか水もほとんど口にせず時間が経つにつれて弱る一方なのは疑いの余地がなかった。
その夜我が家の台所で一晩過ごしたカフカは次の日、ほんの二日前の状態が嘘のようにすっかり衰えて寝床にぐったりと横たわり苦しそうに息をしていた。次第に息が荒くなり我々が声をかけると頭を少し持ち上げるもののもはや起き上がることなど出来ない有様だった。(もうこうなったら手の施しようがない…) そのうち当猫はだんだん生気をなくしていき、頭や体を撫でてやってもあえぎ呼吸をしながらかろうじて目を開けこちらを見るのみでそれ以上の反応は得られなかった。夕方5時過ぎ気がつけばカフカはすでに息絶えていた。体はまだ硬直前だったので恐らく死後それほど時間は経過していなかったと思う。
今回の件で、猫が体を擦り付けてくるのは愛情表現やマーキングだけでなく救いを乞うという理由もあることを痛切に感じたのだった。

腰巾着猫Baby Frieda (ベイビー・フリーダ)
ベイビー・フリーダ推定生年月日: 2003年初頭。2017年3月9日午後(2時頃)没餌目当ての通い猫だった頃のカフカ(上記参照)に導かれて我が家の庭にやって来た短毛の雌サビ猫。顔馴染みになっていくらも経たないうちに結局カフカ共々裏庭に居ついてしまった。その消極的な様子から1960年代末のミュージカル『ジャック・ブレルは今日もパリに生きて歌っている』の中で使われた楽曲『Timid Frieda (内気なフリーダ)』にちなんでベイビー・フリーダと命名された(我が家では庭通いの雌サビ猫は全員が○○○フリーダと呼ばれる)。彼女もまた身元/年齢不詳だが、多分カフカの姉妹か或いは子供ではないかと想像する。
実は初めて現れた時から左目が白内障のように白濁した状態で、一体モノがどれだけ見えているのか今もって不明である。(加齢で最近聴力も低下気味のようだ) その障害の為か気弱で臆病なベイビー・フリーダは人間やカフカ以外の他猫たちとのかかわりを極力避け、雪や騒音などにもかなり敏感に反応する。避妊手術の後単独で我が家の一室に閉じ込められていた際、当猫は夜となく昼となく鳴き続け我々が近づくと牙をむき出し狂ったように威嚇しながら部屋中を逃げ回っていた。また、(庭での)食事の最中でも雪がちらつき始めただけで小走りに猫小屋の中へ退散し、隣家の人々が野外パーティをやっている時は(高い塀に遮られているにもかかわらず)裏庭に決して姿を見せない。カフカとは殆ど正反対の性質を持つ。
そんなベイビー・フリーダだがカフカが傍らにいる場合はしばしば人間やよそ猫から逃れることを諦め臆しながらもカフカと行動を共にする。と言うか、ベイビー・フリーダは影のようにカフカの後を付いて回り恐る恐るカフカのやることを真似るのである。但し(カフカ以外の)他猫に頭突きをしたり体を摺り寄せたり、または餌を横取りしたりなど断じてしない。ははは 以前は滅多に単独で動くことはなかったが近頃は多少肝が据わったようで、時々二三軒離れた家の庭へ一匹で物乞いに行ったりぽつんと小屋の中にいたりする。そして野良猫らしく、かつては寡黙なベイビー・フリーダであったが驚いたことに数年前からうるさく鳴いて飯を催促するようになった。それでも未だに人馴れしきれず、間違っても自ら我々に接近するなんて真似はしないし、メシくれコールに応えこちらが餌を持って近づいても常に1メートルほどの間隔を保ちながら離れて行く。また、人がすぐそばにいると餌を食べようとしないし、我が家の台所に足を踏み入れる際は大抵カフカの背後について警戒しつつ入室するといった具合だ。そんな風だから今までにベイビー・フリーダの被毛に触れたことは2~3度しかない。カフカ以外の他猫に対しても同様に当猫は居心地の悪そうな様子でいつもある程度の距離を置き彼らの動きを観察している。(最近一匹だけ例外が出来たが) 恐らくいつまでたってもその用心深く排他的な性格は変わることがないように思う。
先にも書いたように「おしどり仲間」であるカフカとベイビー・フリーダだが、もしカフカに何かあってただ一匹になった場合果たしてベイビー・フリーダはどう振る舞うのだろうか。彼女ほど特定の相手に依存する猫は他に見たことがないし今後もそういう猫に出会う機会はなかなかあるまい。
 
【追録】先の『Kafka (カフカ)』編 「追録」 冒頭の繰り返しになるが、裏庭にカフカの姿をぱったり見かけなくなった2016年の6月半ば頃からベイビー・フリーダもまた我が家の裏庭を引き払ってよそへ移ってしまったかの如く稀にしか姿を現さなくなった。今でも餌目当てで日に1~2度庭に顔を見せるのだが飯を平らげるや否やどこかへ消えてしまう。依然としてカフカと一緒にいるのか、遂に散り散りになってしまったのか、あるいはカフカとはぐれて近所を捜し歩いているのか、残念ながら我々には知る術がない。孤立して心細い思いをしているとかでなければ良いんだが。
【追録2】2016年7月、救いを求めて我が家の裏庭へ舞い戻って来たカフカの後に続くようにベイビー・フリーダも猫小屋での寝泊りを再開。しかしその後いくらも経たぬうちにカフカが永眠しベイビー・フリーダはとうとう一匹きりになってしまった。カフカの死の翌晩ベイビー・フリーダは勝手口の外で餌を食べ終えた後ほんのしばらく台所内を覗き込むようなしぐさを見せたが、結局いつもの通りそそくさとその場を立ち去って行った。それから2~3日後の夜普段より数時間遅く現れた当猫に給餌する際にメシを勝手口の内側に置いてみたところベイビー・フリーダは一瞬躊躇したもののやはり空腹には勝てずおっかなびっくりで台所に入ってきた。警戒させまいと部屋の反対側に移動した筆者を用心深げに見ながら夕飯を完食し、そのあと室内のチェックを始めるベイビー・フリーダ。カフカの横たわっていた辺りを嗅ぎまわっていた時当猫は突然何かに驚いたように動きを止め踵を返して台所から出て行ってしまった(いや、これは断じて作り話ではないひひひ)。カフカの死後ベイビー・フリーダを哀れに思ったこともあり、それ以降我々は当猫を台所内に誘い入れ夜食として少々贅沢な餌を与えるようになったのだが、(癪に障ることに)当猫は満足するととっととねぐらに帰って行く。まぁ、どこか具合が悪いとか何かで擦り寄って来られるよりは何倍も良いだろう。
【追録3】2017年3月6日(だったと思う)どうしたわけかベイビー・フリーダは我が家の庭を留守にして丸一日姿をくらました。後で聞いたのだが彼女は近所の猫好きの庭に現れ昼飯を振る舞われたとのこと。彼(食物提供者)の話によると特に変わった様子もなく餌を食べていったらしい。翌朝裏庭にある物置小屋(納屋とも言う)の屋根の上に座り辺りを見回しているベイビー・フリーダを目撃。だが、呼んでも庭の芝生に朝飯を置いてやってもヤツはまるで見向きもせずにそのまま屋根の上でじっとしていた。昼過ぎ、塀を越えてどこかへ消え失せその夜は再び行方知れずに。我々は多分ごちそう目当てで隣人の庭へでも行ったのだろうと考え、さして気にも留めなかったのだが今思えばその日辺りからベイビー・フリーダはかなりの体調不良に陥っていたに違いない。
次(8日)の朝になっても姿を現さない当猫を我々がいよいよ心配し始めた頃(午後1時過ぎ)庭の猫小屋の前に寝そべるベイビー・フリーダを発見。頭を弱々しく上げ我が家の勝手口の方向を生気なくぼんやりと眺めている。滅多に芝生の上ではくつろがない猫だが(ましてやその時通い猫の一匹が近くにいた)晴れていい陽気だったので単に日光浴をしているようにも見えた。しかし数分後ヤツはまたもや何処へともなく姿を消した。そして午後遅く猫小屋の中にいるベイビー・フリーダを見つけ餌皿を押し込んでやるも彼女は食物には一切手をつけず、小屋から出てきて外にある鉢の水を少量飲むにとどまった。日没後食事室外横の寄りつき道にうずくまるベイビー・フリーダに近寄るとあぅーあぅーと低い奇妙な鳴き声を発しながら離れて行く。我々がベイビー・フリーダを獣医に連れて行きたい一心だったにもかかわらず当猫は断固として我々との接触を避けている様子であった。そのしばらく後、燃料収納キャビネットの前に移動した彼女の鼻先に水と牛乳の鉢を置いてやったが相変わらず少し口をつけただけでヤツはそっぽを向いてしまった。さらに夜遅くなって再び燃料収納キャビネットの辺りを捜した時にはすでに当猫の姿はなかった。
翌朝明るくなるのを待って窓から裏庭を見渡した際もやはりベイビー・フリーダの影も形もなかったが、ややあって猫小屋の前にうずくまる当猫を発見。しばらく観察していると彼女は出し抜けに起き上がりよろけながら庭の奥へと向かい納屋の横に倒れこんだ。(ああ、何度このような光景を目にしたことか。) 裏庭に出て腫れ物に触るように横たわるベイビー・フリーダの頭をさすったところ当猫は左目(異常があるほうの眼)を半開きにし右目は閉じたまま、息も絶え絶えにか細くう~う~とうめくのだった。(我々はもはやどうすることも出来ずにただ彼女を見守るだけ。) ベイビー・フリーダはその後何度か体の向きを変えたが、最後に悶え苦しんだのか他の場所へ移動しようとしたのか、横向きになって寝転がり背と足を伸ばした状態で午後2時頃永眠した。あまりにあっけない死であった。(身勝手ながら)一つ慰めがあるとしたら、亡くなる前に当猫が我が家の庭に戻って来てくれたおかげでどこにいるのか何かあったのか等と気を揉む必要がなくなったことだ。小心者のベイビー・フリーダは最後まで我々に助けを求める事すら恐れ侘しくこの世を去った。
他界する数週間前に上等なステーキ肉を与えた際彼女がえらく喜んで甲高い声で鳴きながらそれを貪り食っていたのを思い出す。

 

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