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欧州《ヨーロッパ》のラグビー 投稿

 『ヨーロピアン・ラグビー』 欧州ラグビー・ユニオンについて

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「ラグビー・ワールド・カップ初回開催までの経緯」
さて、今回はラグビーW杯創設の過程を振り返ってみたい。時期外れながら、数人の方からそれに関しての質問を受けたので短くまとめることにする。

The Rugby World Cup: How the tournament started

2016年4月25日
半世紀以上前からすでに様々な試みがなされていたのだが、1980年代前半にUK(ウエスト・ナリー社)とアメリカの民間会社〜ウエスト・ナリーは後に初回大会のマーケティング・サービス提供者としてかかわることになる〜が国際ラグビー・フットボール評議会(IRFB)に対しワールド・カップ(RWC)創設の提案を持ちかけたのがその過程において意義深い里程標になったと考えられる。当時ラグビー・ユニオンは負け戦と知りながらもプロ化に対して抵抗していたためW杯はアマチュア主義に影響を及ぼす邪道なもの、更にはラグビーというスポーツの本質を変える不当なものとみなしその提案を却下。

NZ対グルジア戦1983年6月にオーストラリアのラグビー協会が国際ラグビー・フットボール評議会に書面での提案を提出し、続いて翌年にはニュージーランドが企画案を提示した。オーストラリアは1988年の建国200周年記念に合わせ主催国としてW杯開催を希望し、ニュージーランドはその前年開催を提議。しかしながら両国協会の創設案はいずれもIRFBによって退けられた。その後IRFBは方針を改め、オーストラリアにW杯開催の実現可能性調査を依頼。(ARU)協会理事長サー・ニコラス・シェハディの尽力によりオーストラリアはニュージーランドと共同出資で1984年12月から調査を実施した。

1985年3月にパリで開かれたIRFBの年次総会で調査報告がなされ、IRFBメンバー8カ国(オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、フランス、イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズ)の間で協議が行われた。オリンピック、FIFAワールド・カップ、コモンウェルス・ゲームズなどの主要なスポーツ行事とかち合うことを避けるため1987年をW杯開催の年として意見が一致したが、アマチュア精神擁護の立場から当初イングランド、スコットランド、アイルランドそしてウェールズはW杯創設に反対し、一方で南アフリカは人種隔離体制に抗議するボイコット運動のため競技会参加を承認されない可能性が高いことを認識していた。フランスはオーストラリア、ニュージーランドと共に賛成の意を表明したが、IRFBメンバー8カ国以外の国も参加国に含む場合のみという条件付きであった。

2015年W杯W杯構想に対する賛否を問う投票で南アフリカは大会への参加が拒否されるであろうことを知りつつもその構想を支持し、イングランドとウェールズはその時点で態度を一転させ賛成票を投じた。アイルランドとスコットランドは依然としてW杯創設反対の立場をとったが結局6対2で構想可決となった。この段階では1987年の第一回大会以降についての企画はなかったが、国際大会組織委員会が結成され、それから2年余りの間にニュージーランド(主催)とオーストラリアが共同開催するその前例無きイベントの基盤が築かれた。

南アフリカの代わりにアルゼンチンが名を連ね残りのIRFBメンバー7カ国と招待国であるトンガ、日本、カナダ、ルーマニア、ジンバブエ、イタリア、アメリカそしてフィジー〜軍事クーデターにより控えとして西サモアが待機していた〜の参加のもと、かくして1987年5-6月16チームでの第1回競技大会が挙行されるに至ったのであった。

 

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